プロフィール

 

あーちゃん
あーちゃん

⭐あーちゃんのプライベートのおはなしだよ⭐

わたしは生まれも育ちも静岡県浜松市。

1985年3月21日、5人家族の長女として産声をあげました。

わたしは泣き虫でちょっとのことでもよくべそをかく子でした。

幼稚園で赤チンを塗ってもらった傷口を家に帰ってふと思い出し、傷口を見ては大泣きw

 学生時代は大人しくて、いつも絵を描いたり工作をして過ごしていました。

 極度の面倒臭がりで、その場にあるものにすぐ絵を描いていました

 授業中はいつも授業そっちのけでお絵かき

 授業なんて暇だな〜と空想に浸る毎日。

 教科書・ノート・下敷き・机・・・

 なんとティッシュペーパーにまで描き、母にプレゼントする始末。

 母はいまだに財布に入れて持ち歩いているそう。そう。喜んでもらえてうれしかったんです

 絵画コンクールに受賞し、家族はもちろん親戚まで観に来て褒めてくれました

お小遣いまでもらえてウハウハ。

 なにより才能があると褒めてくれたことが自信になったんです。

水彩の楽しさの魅力を知ったのはこの時期ですね。

グラデーションの美しさとか、淡く優しいタッチの表現ができる絵の具が自分に合っているな~と思ったんで

 す。一気に表現の幅が広がった感じです。

 

 そんなわたしも高校進学。絵の方向に進みたい気持ちがあったので、地元の高校へ進学ののち美術部へ入部。   

 自由に作品作りをする毎日で充実していました。

 が、好きな作品作りだけでは当然結果を出せるわけもなく、高生活があっけなく終わってしまったのです。

 

 「絵の道は厳しい」

 いわゆる世間でいう「いい子」を演じていたわたしは、その言葉を聞き、「絵を勉強するいばらの道」

 を諦めました。

つまり、親は喜ばないと思ったんでしょうね~

 

 まあそんなこんなで、子どもが好きだったこともあり保育の道に進んだんです。

 わがままを言って家を出て一人暮らしをさせてもらって、親元を離れての生活に戸惑いながらも3年間保育の勉強

 をしました。

 ここでもやっぱり暇さえあれば絵を描いたりしてお友達にプレゼントしていたからか、

 わたしは「絵や工作がうまい人という立ち位置をゲット!

あーちゃん
あーちゃん

いや、意図していたわけではなかったんだけどね~

単純にうれしかったよね~

内心、よっしゃー!みたいな?www

 大学祭やバイト先の看板づくりもよくお願いされたな。

 うれしかったし、なによりやりがいがあって楽しかったんですよね~

 保育の実習先でも絵や工作を作ってプレゼントすると、クオリティーの高さにとても喜んでもらえてうれしかっ 

 たな~。

 で、地元に帰って、保育園に就職したんです。

あーちゃん
あーちゃん

一人はさみしかったんよ

 保育士は体力的にも精神的にも相当ハードで心身共にズタボロ。

ここだけの話、結構ずさんな現場にガッカリしたってのもあって、最初から長くないな~とは思ってたんです。

 それでも絵画制作担当に任命されて、行事や壁面製作の度に呼ばれることがなにより楽しかったですね~

 思い描く保育士生活とはかけ離れていた現実を目の当たりにしたわたしは、わずか3年で寿退社。

 夫には言えませんが、結婚はいい理由付けです。w

 

 その後は2人の子どもにも恵まれ、いわゆる幸せな結婚生活を送っていました。

 我が子たちにもアートや工作の素晴らしさを伝えたいと思って、おもちゃを手作りしたり、赤ちゃん寝相アート

 を作ってみたり、 アート制作に触れる機会も多かったですね~。

手作りおもちゃ、100個は超えてるかな?

 やっぱりわたしは我が子だけじゃなくって、世の中の子どもたちアートの素晴らしさを伝えていきたい

 そう思い始めた矢先、保育士復帰の声がかかったんです。

 せっかくの資格生かさなきゃ損だ!保育も子育て中なら強いかもしれない。

リベンジだ!と思い、パートとして復帰したんです。

 ま~それはそれは毎日充実した日々を送りました。

気に入られようと媚びも売りました。w

 しかし、しかしですね、家事・育児・仕事・・・

 それぞれに追われる毎日に体も心も限界がきて、しぶしぶ離職。

 いや~想像以上にハードでした~。

そりゃあそうでしょうに。

なんてったって幼児2人を子育てしながら家事もして仕事はできる女子を繕ってきたんですもん!

 

しかも年齢が追い打ちをかけて体力のなさを痛感💦

 さらに追い打ちをかけて、息子が幼稚園に行き渋りの毎日。

 

 この子なんだか育てにくいな、と思っていたのが現実となり、小学校入学後すぐに今度は学校から毎日のように  鬼電。

終いには、校長じきじきに、「こんな子うちでは見れない!」と言われる始末

 

 

 もう人生終わりだ・・と何度も思った

 生きているのが辛い。どうして生きているのだろうと自分をとにかくいじめた。

 もういっそのこと人生終わらせてやろうか・・と何度も思った。

 毎日のように発狂し、荒れ狂う日々。

 夫・家族とも不仲になり、いつも眉間にはしわがあり、いつの間にか笑顔もなくなっていったんです

 

 精神科に通うようになり発覚。

 わたしは発達障害(asd)・自律神経失調症・うつ状態・育児ノイローゼ・アダルトチルドレンであることもわかっ 

 た。 息子も発達障害(asd)でした。

 

 

そんなとき、大切な友人の結婚パーティーのウエルカムボードを依頼されたんです。

わたしは喜んで引き受けました

想いの乗ったアートは想像以上に喜んでもらえました

 

 

この経験で、わたしは忘れていた大事なことを思い出したんです。

絵を描く楽しさや絵を描くことで人に喜んでもらううれしさを!!!

そうだ!わたしがほんとうにやりたいのは絵を描いて喜んでもらうことなんだ!!!そう思ったんです。

 

そこからもっと絵がうまくなりたいと思ったんです

わたしはもっともっと技術と知識を磨いていきました

そしたら、うまくなったねってもっと褒めてもらえるようになったんです

技術や知識がついたことでさらに自信が付き、どんどん描きたくなりました。

 

家族や友人からも「わたしも描いて!」と言われるようになりました

自然と心に余裕も生まれ、笑顔が増えたことで、毎日笑いの絶えない理想の家族団らんの日々が送れるようになったんです。

 

これからも、わたしの絵によって心がちょっぴり安らぐ、そんなアートを作っていけたらと思っています

 

そしてわたしと同じように、絵を描く楽しさ、絵を描くことで人に喜んでもらううれしさを忘れてしまっている方

にむけて発信していきたいのです

 

絵を描くことで本人も周りにも笑顔を取り戻したい!ってことです。

 

生きる希望もなかったどん底のわたしが笑顔を取り戻し、自由な働き方で家族も幸せになる方法を身をもってお伝えしていきたいと思っています。

 

それではまた~!

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